瞑想できるようになってよかったこと


本気でやろうと思ったのは
ひょうんなことから某伝統武道に誘われて、何をやってるのかよく分からないまま1ヶ月くらい過ぎた頃、師範がおっしゃいました。
「坐禅をすると早いですよ」
坐禅かぁ〜。全然ダメなんってよくわかってる。いろいろな本を読んだり、瞑想の本も散々読んだけど、知識は増えてもそんなもの全部ゴミだ。坐禅はちっともできるようにならない。これは本気でやらないと、と思ったのでした。
そのうちに流行病で缶詰に
某伝統武道を始めて3年くらい経った頃、流行病が始まりました。某伝統武道の稽古も中止。世界中が恐怖でフリーズしてるような時。毎日の瞑想をし、スポーツクラブも休業してしまい、運動のため裏山のお不動さんにお参りに行って、日常の家事で心を落ち着けるようにしていました。

瞑想も坐禅もできるようになったとは思えないけれど、この時期に心の平安を保てたのは、瞑想習慣があったおかげだと本当に思いました。
もし座っていなければ、いろんな情報を探して、恐怖や憤りにとらわれていただろうと思います。
お不動参り
お不動さん参りはただの運動のつもりでしたが、自宅の裏山(けっこう勾配がきついので、上りは大変)にお不動さんの真言を唱えながらお参りしていたら、山のお堂(この土地は古い寺の跡で、奥の院の小さな不動院だけが残っている)との繋がりのような気持ちが深まってきて、いつもお不動さまに見守られて、お不動さまの足元で生活させていただいてるんだなぁ〜という気持ちが湧いてきたのが不思議です。
広島は土砂災害の多い地域ですが、お不動さまの山が崩れて、わたしの命や財産を奪うなら、それがお不動様の意思ならば、それもわたしの人生だ、と思うようになってきました。
そうすると、大雨が降っても全然怖くなくなりました。
今はもう裏山には登らなくなりましたが、いつもつながっている、そんな気持ちがします。

他にもいいこといっぱい
裏山の話は余談ですが、瞑想ができるようになって、本当に自分が精神を病む心配がなくなりました。
思考してるわたしと本当のわたしは違う、思考は御堂筋を流れる車列のように、ただ脳の機能として流れていくだけで、その車列にいちいち反応しなくてもいい、とわかりました。
また、瞑想の時間を毎日持っていたことで、レイキの伝授を受けたらその後のセルフヒーリングの練習も瞑想の時間で出来るし、シータヒーリング®️のセルフワークも瞑想の時間を使って毎日練習できたので、上達が早かったと思います。
シータヒーリング®️は瞑想技法ですから、相性がいいには違いないのですが、ちょっと「坐禅」からは遠のいたかもしれません。
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